1 復讐の鬼 ★ 2018/03/08(木) 18:12:21.53
1978年に発表され、今年で40周年を迎える『スペースインベーダー』。
通称“インベーダーゲーム”と呼ばれ、定番シューティングゲームとして世代を超えて愛され続けてきました。
誕生から40年間で、ゲーム業界は驚くほどに進化を遂げています。そのなかで『スペースインベーダー』はどのような変移を辿ったのでしょうか。
開発・販売元の株式会社タイトーに話を伺いました。
■「宇宙人ものはヒットしない」社内の声を押し切って製作した初代
開発のキッカケは、当時ヒットしていた『ブロック崩し』に負けないものを作れないか?と営業が開発者の西角友宏に依頼したことが始まりです。
そう語るのは、株式会社タイトーの広報担当者。
当初のゲームはプログラムではなく、ハードウェアの制御だけで作っており、新作ゲームの製作のたびに回路を作る必要がありました。
設計にすごく時間がかかることをネックに感じつつも、回路を作ることもひとつの楽しみだったと開発者・西角は振り返っています。
そんなとき、アメリカでマイクロコンピューターが開発されソフトウェアの時代に。
大勢のキャラクターを出すこと、コンピュータ操作の敵と対戦することなど、ハード性能ではできなかったことへ積極的にチャレンジできるようになりました。
そこへ『ブロック崩し』の“ブロックを全部消したときの爽快感”を盛り込みゲームシステムを構築しました。
『スペースインベーダー』の特徴のひとつが、宇宙人のようなキャラクターです。
当初は戦車や船、飛行機など別のモチーフでした。しかし、細かいディテールのキャラクターを動かすことがハード性能上難しく、
一番臨場感があったのは人間でした。しかし、人間を撃つのはどうかという声があり、宇宙人となったそうです。
当時、社内では過去の経験から「宇宙人ものはヒットしない」と言われておりましたが、西角が押し通しリリースされました。
こうして誕生した『初代スペースインベーダー』は、ゲームセンターや喫茶店などあらゆる店に設置されました。
ゲームを全てインベーダーに替えたゲームセンター「インベーダーハウス」が登場し、ブームはより過熱しました。
■家庭用ゲーム機のソフト登場。一気にファミリー層へ広がる
誕生から7年経った1985年、家庭用ゲーム機「ファミリーコンピューター」のソフトが登場。個人で遊ぶゲームから、家族で楽しめるゲームになりました。
家庭用ゲーム機のソフトとして売り出すために、西角は4つのポイントを意識しました。
1.遊び方がシンプル
2.スキル性
3.爽快感
4.悔しさ
弊社創業者ミハイル・コーガンの、ゲームにとって大切なのは「リプレイアピール」という話を西角なりに理解し、この4点が浮かび上がりました。
また、これまでゲームセンターに来ることができなかったお客様など幅広い年齢層の方にプレイしていただくことも意識しました。
1990年代には、3D映像の導入や2人対戦機能など、大きな変化を遂げています。
技術の発展によりどんどん映像に力を入れられるようになり、単なるゲーム性だけでなく、見た目の美しさも求められるようになりました。
また、開発に携わる人間も増え、開発期間も必然的に長くなり、チームとしての管理も必要になってきた時期だったと、当時を知る人物から聞いております。
2000年代には、携帯電話やスマートフォン向けの『スペースインベーダー』が登場し、これまでと違う層にも届くようになりました。
携帯向けゲームとして、『スペースインベーダー』や当社の人気パズルゲーム『パズルボブル』をリリースし、
新しい層へ届けることでゲーム人口の増加に貢献したと考えています。
携帯ゲームならではのカジュアルに遊べる点は、創業者のミハイル・コーガンのアドバイスでもある「リプレイアピール」という考えにもあっていました。
通称“インベーダーゲーム”と呼ばれ、定番シューティングゲームとして世代を超えて愛され続けてきました。
誕生から40年間で、ゲーム業界は驚くほどに進化を遂げています。そのなかで『スペースインベーダー』はどのような変移を辿ったのでしょうか。
開発・販売元の株式会社タイトーに話を伺いました。
■「宇宙人ものはヒットしない」社内の声を押し切って製作した初代
開発のキッカケは、当時ヒットしていた『ブロック崩し』に負けないものを作れないか?と営業が開発者の西角友宏に依頼したことが始まりです。
そう語るのは、株式会社タイトーの広報担当者。
当初のゲームはプログラムではなく、ハードウェアの制御だけで作っており、新作ゲームの製作のたびに回路を作る必要がありました。
設計にすごく時間がかかることをネックに感じつつも、回路を作ることもひとつの楽しみだったと開発者・西角は振り返っています。
そんなとき、アメリカでマイクロコンピューターが開発されソフトウェアの時代に。
大勢のキャラクターを出すこと、コンピュータ操作の敵と対戦することなど、ハード性能ではできなかったことへ積極的にチャレンジできるようになりました。
そこへ『ブロック崩し』の“ブロックを全部消したときの爽快感”を盛り込みゲームシステムを構築しました。
『スペースインベーダー』の特徴のひとつが、宇宙人のようなキャラクターです。
当初は戦車や船、飛行機など別のモチーフでした。しかし、細かいディテールのキャラクターを動かすことがハード性能上難しく、
一番臨場感があったのは人間でした。しかし、人間を撃つのはどうかという声があり、宇宙人となったそうです。
当時、社内では過去の経験から「宇宙人ものはヒットしない」と言われておりましたが、西角が押し通しリリースされました。
こうして誕生した『初代スペースインベーダー』は、ゲームセンターや喫茶店などあらゆる店に設置されました。
ゲームを全てインベーダーに替えたゲームセンター「インベーダーハウス」が登場し、ブームはより過熱しました。
■家庭用ゲーム機のソフト登場。一気にファミリー層へ広がる
誕生から7年経った1985年、家庭用ゲーム機「ファミリーコンピューター」のソフトが登場。個人で遊ぶゲームから、家族で楽しめるゲームになりました。
家庭用ゲーム機のソフトとして売り出すために、西角は4つのポイントを意識しました。
1.遊び方がシンプル
2.スキル性
3.爽快感
4.悔しさ
弊社創業者ミハイル・コーガンの、ゲームにとって大切なのは「リプレイアピール」という話を西角なりに理解し、この4点が浮かび上がりました。
また、これまでゲームセンターに来ることができなかったお客様など幅広い年齢層の方にプレイしていただくことも意識しました。
1990年代には、3D映像の導入や2人対戦機能など、大きな変化を遂げています。
技術の発展によりどんどん映像に力を入れられるようになり、単なるゲーム性だけでなく、見た目の美しさも求められるようになりました。
また、開発に携わる人間も増え、開発期間も必然的に長くなり、チームとしての管理も必要になってきた時期だったと、当時を知る人物から聞いております。
2000年代には、携帯電話やスマートフォン向けの『スペースインベーダー』が登場し、これまでと違う層にも届くようになりました。
携帯向けゲームとして、『スペースインベーダー』や当社の人気パズルゲーム『パズルボブル』をリリースし、
新しい層へ届けることでゲーム人口の増加に貢献したと考えています。
携帯ゲームならではのカジュアルに遊べる点は、創業者のミハイル・コーガンのアドバイスでもある「リプレイアピール」という考えにもあっていました。
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