スマートフォン向けのRPGに当然のごとく実装されている
「自動戦闘」を我々はどのように捉える必要があるのか、
海外ゲームメディアの記者のコラムを紹介する
RPGの楽しさには2つの大きな軸がある
1つはレベルを上げたり装備を強化するキャラクターの
「成長」、もう1つは強くなったキャラクターを使って
「活躍」すること。
成長は「過程」であり、活躍は「結果」である。
しかし、スマートフォンというプラットフォームでは、
成長過程が一つの障害になった。
スマートフォンのタッチパネルだけでキャラクターを
自在に操作するのは不可能で、多くの開発会社は操作の
プロセスを簡素化することにした。
自動戦闘は、現代のモバイル市場の「大衆ジャンル」の
特異性と、プラットフォームの限界、スマートフォン
ゲームのプレイスタイルが複合的に作用して出来た副産物である。
しかし、自動戦闘に否定的な意見も少なくない。
自動戦闘によって、ゲームが「すること」から、「見ること」に変わってしまったためだ。
ゲームプレイのほとんどはキャラクターが1人で狩りを
することに焦点が当てられ、プレイヤーの仕事は時々ポーションを
補充し、装備を交換し、ステータスポイントを割り振ることくらいだ。
自動戦闘の導入は進化ではなく「逃避」に近い
成功の方程式から逸脱してモバイルプラットフォームの
限界を超えるための何かを構想するのではなく、
安全な道を選んでそこから逃げてしまった結果が自動戦闘である。